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神社系のネタ  魂の性質・距離感 

イメージできない=存在しない

私は神社から帰る前に、同行してくれた全員に確認することがあります。

「この神社ですべきことをすべて終えた」かを、筋反射で確認するのです。

 

ミッションコンプリートなら、そのまま帰ります。
自分に合わないエネルギーの場所にずっといると、体力消耗しちゃいますからね。

 

 

 

先日も榛名神社の電波塔にて、同じ質問をしました。

(電波塔が榛名神社の一番端なので)

全員がミッションコンプリートだったので、帰ることに。

 

その途中、クリフが御札を返しに行きたいと言い、社務所の方に寄りたがりました。

 

秋葉神社帰りで足が疲れていた私は、もう石段上がりたくないので悪態つきながら付き合いましたが、その経路上クリフが気になる空間を見つけたのです。

 

いや、もうミッションコンプリートだから帰ろう…と言いかけたのですが、そんなに急な段差ではなかったので付き合いました。

 

 

 

すると、そこには2つの祠が。

そこのパワーが強烈すぎて、クリフは吐き気を催してしまいました。

誰も来ないのでパワー溜まりまくってたのでしょう。

 

私には合っていたエネルギーなのでインストールしました。

 

クリフは私のために道開きしてくれたのですね。なんとありがたい。

 

 

では何故、先ほどは「もうこの神社に用はない」と出たのか?

 

実はこの祠の入り口を塞ぐように地蔵が立っていたのです。

 

私は重い想念を発見次第即シャッターを下ろしてしまう人なので、地蔵を見ると意識を合わせない癖がついてしまっています。(浄化しても良いんだけど、想念の蓄積が多いと焼け石に水)

 

だから地蔵の先の道は、私にとって存在していませんでした。

 

認識していない=自分の世界にはない、なのです。

 

だからこそ、自分以外の人の視点を借りて世界を広げる必要があるのですね。

 

 

過去生を見たほうが人生楽しめるのも、そこに理由があります。

 

あると思えば認識できる、視野が広がる、扱えるエネルギー領域が増えるのです。

 

そのことはタイムウェーバー(波動調整機械)が過去生を扱うのを前提にしていることからもわかるのではないでしょうか。

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