イメージできない=存在しない

私は神社から帰る前に、
「この神社ですべきことをすべて終えた」かを、
ミッションコンプリートなら、そのまま帰ります。
自分に合わないエネルギーの場所にずっといると、
先日も榛名神社の電波塔にて、同じ質問をしました。
(電波塔が榛名神社の一番端なので)
全員がミッションコンプリートだったので、帰ることに。
その途中、クリフが御札を返しに行きたいと言い、
秋葉神社帰りで足が疲れていた私は、
いや、もうミッションコンプリートだから帰ろう…
すると、そこには2つの祠が。
そこのパワーが強烈すぎて、
誰も来ないのでパワー溜まりまくってたのでしょう。
私には合っていたエネルギーなのでインストールしました。
クリフは私のために道開きしてくれたのですね。
では何故、先ほどは「もうこの神社に用はない」と出たのか?
実はこの祠の入り口を塞ぐように地蔵が立っていたのです。
私は重い想念を発見次第即シャッターを下ろしてしまう人なので、
だから地蔵の先の道は、私にとって存在していませんでした。
認識していない=自分の世界にはない、なのです。
だからこそ、自分以外の人の視点を借りて世界を広げる必要があるのですね。
過去生を見たほうが人生楽しめるのも、そこに理由があります。
あると思えば認識できる、視野が広がる、扱えるエネルギー領域が増えるのです。
そのことはタイムウェーバー(波動調整機械)が過去生を扱うのを前提にしていることからもわかるのではないでしょうか。